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江戸に暮らす人々

町火消し

町火消

五番組こ組の町火消と纏(江戸東京博物館蔵)張り(意気地)、意気(気っぶのよさ)を持った江戸っ子の代表選手が町火消し。町方の費用負担で結成され、火事が起こると近隣の家屋を壊して延焼を防ぐ'江戸の華"であった。歌舞伎『め組の喧嘩』などに登場。


魚屋

日本橋の魚河岸衆も喧嘩っ早さと威勢のよさでは負けていない。一心太助は「てやんでい」と棒手振として江戸の町屋を駆けていた。表店だけでなく裏長屋まで魚を売りに回った。


目明かし(岡っ引き)

同心が個人的に使う調査員。同心から小遣いを貰う程度で無給。罪人上がりの者もいた。


同心

事件の調査を行うのは、主に八丁堀の同心だった。役得として袖の下をとることも少なくなかった。また、そうしなければ生活できないほど薄給しか貰っていなかった者もいた。


火付け盗賊改

鬼平ブーム以来、すっかり有名となった火付盗賊改の捕物風景。捕物のときには与力(向かって左)や同心(右)以下を従え火事羽織に陣笠で出動した。町奉行が実質30名以下の同心で行っていた警察力を強化するために設置された。しかし、町奉行と火付盗賊改を合わせても正式な人員は少なかったので、江戸の治安維持には、自身番や木戸番などの町方の自警組織の働きが大きかったといえる。


町奉行

大岡越前や遠山金四郎の役職。町奉行は江戸市中(武家、寺社領・寺社関係者、私領を除く)の行政・司法を担当していた重職。南町奉行と北町奉行が月ごとに当番を勤めた。午前中は江戸城に登城したり、評定所で老中や勘定奉行、寺社奉行などと町奉行の権限を超える案件の協議をしていた。白州では同心と与力の調査をもとにして罪刑を決めたが、死罪には将軍の決済を必要とした。激務で在任中の過労死も少なくなかった。


小間物売り

小間物売り

『鬼平犯科帳』で密偵のおまさがよく小間物売り姿で出てくる。「まきがみ おしろい せんか(こ)う」と書いた箱を背負って、口紅やかんざしも売った。


駕籠かき

駕籠かき 街道筋は宿駕籠、町の道で客待ちをしこいるのは辻駕籠と呼ぶ。馬子 荷を運んだり、街道筋では人を乗せたりした。木曾路の馬子は有名。僧 江戸時代、僧の女犯はさらし、寺持ちであれば遠島と厳しい法に縛られていた。渡世人 農家の次男坊以下は村を出て渡世人になる者も少なくなかった。


虚無僧

旅をしている虚無僧は尺八を袋に入れて腰に差していた。『鬼平犯科帳』では鬼平や同心がよく虚無僧に変装している。


按摩

按摩上下16文といわれ、蕎麦一杯分ぐらいの料金でもんでいた。盲人の専業で、座頭市も按摩をしていた。


屋台蕎麦屋

屋台蕎麦屋

屋台蕎麦屋 夜鷹蕎麦ともいわれ時代劇では岡場所の遊女である夜鷹とセットでてくることが
多い。屋台寿司屋 江戸湾で採れた魚を使うのが江戸前寿司。当時の握り寿司は拳ぐらいの大きさがあったという。子は魚の寿司より高くて16文ぐらいした。


貸本屋

貸本屋

高価な本を読みたい庶民は貸本屋を利用していた。 瓦版売り ニュースを声を上げて読みながら売ったので、読売りと呼ばれていた。「てえへんだ」と言っていたかどうかは不明。


しょぼん売り

しゃぼん売り

「たまやーたまやーたまやー」と声をだし、麦わらの茎でシャボンを吹いて客を引いた。


左官屋

左官屋は火が入り込まないような壁を作ろうと苦心した。


大工

大工 江戸では町の拡大や火事で大工の需要は大きかった。江戸っ子の代表的な職業の一つ。


しじみとり

しじみとり

魚の種類が豊富な江戸前海では、佃島の漁師をはじめ、あさり・はまぐりとり、海苔づくりなどが盛んだった。隅田川ではしじみとりの姿が見られた。


農民

江戸近郊で有名なのは、練馬の大根、葛西小松川の(小松)菜など。現在では想像もできないが、新宿は唐辛子の産地だった。町に農作物を売りに出たり、肥を持って帰ったりした。


鳥追い

鳥追い

二人1組で、三味線を弾いて唄いながら歩いた芸人。人の家に乞食して歩く門付きの一つで酒席に呼ばれることもあった。


花魁

華やかな吉原のメインイベントが花魁道中。男衆(亡ハ)などが先導し、禿(かむろ=高級遊女につく少女)を従えた花魁が外八文字という独特の歩き方で揚屋へ向かった(遊女のランクや遊郭のシステムは時期により違う)。高級遊女は高い教養を持ち芸事に優れ・大名や豪商を袖にすることもあった。


茶屋の娘

上野、浅草などには茶屋が並び看板娘がもてはやされた。谷中のお仙、浅草のお藤、およしは明和の三美人として絵や芝居のモデルになった。『鬼平犯科帳』では、水茶屋の女に入れあげて身を持ち崩す同心の話がある。


芸者

深川芸者と吉原芸者が有名。深川芸者は「小股が切れ上がった」粋な女が多く、流行りの最先端をいっていた。江戸の中心地から見た方角から、辰巳芸者とも呼ばれ、立ち居振る舞い、話術、芸事などが評判になっていた。後ろに見えるのは三味線箱。


長唄の師匠

三味線や長唄の師匠のなかには、料理屋に弟子を集めて発表会を開催し祝儀を集める者もいた。音曲は江戸時代の教養の一つだった。


比丘尼

比丘尼

江戸時代では尼の姿をした私娼を比丘尼(びくに)と呼ぶこともあった。江戸の公娼制度では吉原のみで営業を許可していたが、比丘尼の他に夜鷹、舟饅頭と呼ばれる私娼も多かった。


井戸端の女

裏長屋の店子たちは共同の井戸で水汲みや洗濯をしていた。当時の家事は現在よりはるかに重労働だった。しかし井戸端は女たちの集会所として町の様々な噂が飛び交う、庶民の息抜きと社交の場となっていた。

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