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商人の町、大阪

大阪城

近世大坂の都市としての基盤をつくったのは、豊臣秀吉である。天下は豊臣から徳川の世と変わり、政治の中心は江戸へと移った。戦国時代以来の政治上経済・文化の中心であった上方(かみがた)で、全国支配の拠点となるはずだった大坂城は、江戸時代に入って大きくその役割を変えることとなる。その役割とは、西国大名の監視と経済の拠点となることであった。江戸幕府が伏見城を廃城にしてまでも大坂を直轄地にし、大坂城を再建させたのは、そうした役目を大坂に期待したからである。

天下人の城下町

賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで柴田勝家に勝った秀吉は、名実ともに織田信長の後継者となった。秀吉は天下統一の拠点を、石山本願寺の寺内町があったところに置いた。淀川で京に通じ瀬戸内海で西国とつながる大坂には、築城のための物資が多数運ばれた。当時、日本にキリスト教布教に訪れていたポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは、各種の石を見て「千艘以上の石船が、順序を正して入港するを家内より目撃せり」と驚嘆をもって記している。

天正一一年(一五八三)八月から始まった大坂城築城は、三か月後には天守の土台が築かれ、一三年春に本丸が完成する。その後も二の丸、三の丸と拡張し、巨大な城へと発展した。商業が盛んになるきっかけは何であったか。それは築城のために集まった諸大名らが、やがて邸宅を新築していったことで、人口の集中する大坂に米蔵を設け、本国からの米を輸送して貯蔵し、売買をしたことにある。

大坂の生まれ変わり

秀吉のつくった大坂は、慶長二〇年(一六一五)の大坂夏の陣によって、豊臣氏の滅亡とともに灰燼(かいじん)に帰してしまう。徳川将軍家が焼け野原になった大坂で最初に進めたことは、町の復興であった。その任に就いたのが、徳川家康の外孫にあたる伊勢亀山城主松平忠明であった。忠明は、戦火を避けて疎開していた東天満、船場、西船場の町人たちを呼び戻し、伏見にいた八〇余町の商人らを、大坂城旧三の丸跡地に集団移住させて市街地化を図った。

戦災復興がほぼ終わった元和五年(一六一九)、幕府は大坂を直轄地にし、翌年から西国の大名を動員、大規模な大坂城再建工事に着手した。一〇年の歳月を要して動員された大名の数は、延べ一六三家。人員は延べ四七万人あまり、工事期間中、大坂にはおよそ一五万前後の人がいたという。再建された大坂城は、軍事的な役割は少なくなり、西国大名の監視が大きな役目となった。また、城下町には堀川(運河)が巡らされ、八百八橋の異名をとる「水の都」として大きく発展する。全長一六㎞といわれる堀川は、淀川舟運によって入ってくる物資輸送の水路として大きな役割を果たした。

天下普請(てんかぷしん)によって再建された大坂城は、幕府の権威を象徴する城として新たに出発したが、武士の数一万人程度に対して、町人の数三〇万人という数字が、町人の町として新しく生まれ変わったことを示していよう。

天下の台所

江戸時代の経済は米が基準で、大坂でも流通取引高のもっとも多い品目のひとつは、米である。大名は領内から取り立てた年貢米を大坂に積み出し、これを売って換金し、必要な支出にあてていた。この米を保管して売買するところを蔵屋敷と呼び、大坂の繁栄は、この蔵屋敷の蔵物の売買によって支えられていた。大坂に集まるのは米ばかりとは限らない。正徳四年(一七一四)の資料では、「米・麦・塩・砂糖・油・木綿・薬・鉄・鋼・煙草・干解」など一一九品目にのぼる。大坂から出された品物は、「書物・具足・刀・甲・硯・墨・金銀箔・白木棉・障子・鍋釜・草履・碁盤」などがあり、武具から家具、家庭用品にまで至っている。中之島を中心に、土佐堀川、江戸堀川などの川べりに設けられた西国大名らの蔵屋敷に、瀬戸内海航路をうまく利用した大量の物資が集中した。そこで、問屋、仲買、両替など商品流通、金融にかかわる特権商人の経済活動が盛んになり、大坂は「天下の台所」と呼ばれるようになり、諸国からの物流取り引きの中心となった。

全国に影響を与えた大坂商人

堂島米市場
堂島米市場

大坂の三大市場とは、天満青物市場・雑喉場(ざこば)魚市場・堂島米市場をいう。正徳年間(一七一一~一六)の記録では大坂の問屋は五六五五人、仲買は八七六五人、その業種は商業・交通・金融を中心に多彩なメンバーであり、大坂が全国の物資集散地であることを如実に示している。三大市場に関係する問屋も、青物屋仲間、八百屋問屋、生魚問屋、北国干魚問屋などがあった。

堂島の米市場は、淀屋の米市に始まる。江戸や京都などにも米市場はあったが、堂島の米市場を基準に相場が決定された。全国的な商品流通機構の中心であることから、取り引き手段は必然的に貨幣金融機関の発達を促進させた。両替商の多さがそれを物語っている。そのうち本両替と称する両替商は、金銭売買・貸付・手形振出・為替・預金など現在の銀行業務と変わらぬ機能をもった。このうち資金の豊富な鴻池屋、天王寺屋、助松屋、泉屋などを米の買い上げなどに参加させ、幕府は米相場の安定にかかわらせた。また、藩を相手に大名貸しなども行なわれ、その経済力は全国に鳴り響いた。

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